今日も一日があっという間
どうも、ジュタカです。
今日は何の話をしようかと考えているんですが、
何か少しでも人生のプラス+になることをしゃべろうと思っています。
昔ちょうど高校時代にずっと野球をやっていたんだけど
そこの野球部の顧問がかなりの強烈な方だった。
それまでに何回も全くの無名な野球部を甲子園に出場させた経験があり、私のいたエリアでは強豪校の部類だった。野球を教えればそこには独自の野球理論があり、勝つ野球を叩き込まれました。指導方法はめちゃくちゃ厳しかった。
またアマチュア野球界ではかなり有名な方でもあります。
でそれと同時に凄まじかったのが毎日のように繰り返される説教節。
それは悪い意味で使う「説教」ではなく、人としてどうあるべきかという道徳教育の方ね。
父母関係者からは「人格者」と呼ばれるくらい良い話を説くことでも有名でした。
何よりも威圧感、オーラが凄かった・・・。
(※ここではその方のことを「師」と呼ぶことにする。)
そこで今日はその「師」がどんな教えを野球部生徒に話したのかを今回は特別にご紹介したいと思います。(高いですよ…)
目次
師の教え「人生の土俵」の話
今当時を振り返ると(もう今から十数年前になる)師が一貫して生徒に教えたかったのは
人生の土俵の話でした。
じ、じん生の土俵?なんだそれは!
と思うだろう。
その師がもうず~~~っと生徒に語り続けてきたことだ。
やりたいことをやる前にやるべきことをやる。という教え
師が一貫して生徒に伝えたかったのはこのこと。
これがまさにその土俵の話だった。
ここでいう「やりたいこと」というのはここでは部活のことになる。
「土俵」とは私生活=学校生活の意味だ。
簡単にいえば、
やりたいことだけやる前に、やるべきことをきっちりとやりなさい
ということです。
それが人生の土俵という話。
凄い単純な話なんだけどね。
やりたいことだけやって、その他のやるべきことをいい加減にやっているようでは、やりたいことをやった時に誰からも支持をされないという結果になるわけです。
つまり、因果応報ではないけれど、だらしないところはいつか自分に返ってくるというのを説いておられました。
実際に、師は誰だれがこんなことをやっていたとか、授業中こんなことをしていたとかいう情報を敏感にかぎ取り、それを部活のときに出します。
もちろん、私生活や学校生活に問題ありの生徒は野球すらやらせてもらえず草むしりなんていうのもよくある話でした。
どれだけ野球が出来ても(巧くても)その土台である私生活や学校生活がしっかりとできていない生徒はボールを握れないという方針・指導方法だったわけです。
なので野球より前に、まずは土俵をしっかりと固めなければいけないという教えです。
相撲をとる(ボールを握る)よりも大切なこと。
では、具体的に土俵とは何かというと、例えば高校生でいうなら
- 学校生活での態度、教師への態度(これでは先生から応援などされない)
- 身なり服装(腰パンやルーズにしていないかなど)
- 勉強への姿勢(部活だけやって成績が悪いのは本末転倒)
- 他の生徒の見本になるような言動をしているか(挨拶、言葉遣い、髪型、服装、規律)
- 親への感謝、態度、挨拶を忘れていないか(誰のお陰で学校に行けているのか)
このようなことを称して師は土俵、もしくは土台と呼んでいた。
一生徒としてみたときに、当たり前であることを実行しているかどうか、私生活、学校生活の中で基本的なことがきっちりとしているかどうかという話だ。
それができた上でなら好きな部活や野球やサッカーそれは何でもいいんだけど、やる分には構わない。
けど、この土俵がしっかりと固まっていないのに、好きなことだけやるっていうのは筋違いではないだろうかというのが師の一貫した教えだった。
周りに応援される人間になるために私生活をきっちりとやりなさい
そこの部活は全国から特待生を集めているような強豪校だったので、学校からも父母からも地域からも教師方からも甲子園を期待されていた。
もし、仮に学校生活の中で教師に反抗するするような問題児が野球部に沢山いたとしたらどうだろう。
トイレで隠れて煙草を吸っているような部活を応援したいだろうかということだ。
それは期待を裏切ることになる。
誰もそんな部活を応援したいとは思わない。
周りに応援なくして勝ち上がっても全く意味がないし、見放されても何のためにたたかうのかわらなくなってしまう。
だからこそ、師は口酸っぱく私生活、つまり土俵の話を徹底的に生徒に刷り込んでいった。
それは私が入学した高校当初から終わりまでずっと続いた。
人生の土俵の話は全てに応用できる
画像:土台作りに励むひとたち
師と離れてから十数年の月日が流れたわけであるが、
その土俵の話は今考えると結局どんな分野にも応用できる普遍的な話だったと思っている。
部活を仮に仕事に置き換えてみる。
すると、やりたい仕事をする上には当然その下に会社や上司や同僚からの「信頼」という土台、土俵が必要となる。
さらに細かくいえば、仕事という土俵には以下の土台が必要となる。
- 健康管理や体調管理をする時間
- 自分への勉強や投資(仕事上の専門知識を学ぶ時間)
- 家族とのつながりや家族サービスや交友関係
- 人生を豊かにする趣味の時間
- 内発的なモチベーション(目標、ミッション、価値観)
- 精神を豊かにする活動(読書や音楽)
- 一般的なマナーや誠実さや節度や謙虚さ(人格)
- 自分のことを考える前に相手の立場になって考えること(規律)
仕事はこういった人生の土俵があった上で成り立つ。
野球部のとは明らかに違うものではあるが、根本的には原理は同じで、何か主要なことをする上には必ずすべきことが存在するということである。
これはスティーブン・R・コヴィー『七つの習慣』でいうところの「刃を研ぐ」の教えである。
そして、インサイドアウトの考え方だ。(※興味のある方はぜひ読んでみてほしい)
総括まとめ(個人的な見解も含みます)
わかりやすく説明するために「人生の土俵」解説図を作成してみました。
- 生活の土俵基盤を固める
- 自分の好きなことに打ち込む
自分の「心の向かう先=好きなこと」、それは何だっていいですが、趣味、夢、目標、やりたい仕事、それらを行うには必ずその土俵の存在というものが必要だということです。
それらをやる前に今一度自分が立っている土台を見直してみること。
土俵の上に立つ前にまず、その土俵の土台がきっちりと固められたものであるかをチェックしたいものです。
できていると思っても実はしっかりと固まっていなかったなんてこともあるでしょうからね。
もう一度見直してみたい。
部活だけやっていても学業の成績が上がらないように、仕事だけしていても大事な人からの信頼が得られなければいけません。これはバランスの考え方です。
一度自分にとっての人生の土俵が何なのか、そして、それはきっちりと固められた上でその上に乗っているのか一度自分自身に向き合ってみようと思う。
そんな意味も込めて結びとしたいと思います。
ではまた。
※師についての教えはまた思い出したら更新したいと思います。
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